木を活かすことを“天職”と悟り歩んだ15年
木を活かすことを“天職”と悟り
歩んだ15年
松島匠建代表の松島克幸です。
まずは、自己紹介を兼ねて私のこれまでの歩みをお話します。
松島克幸プロフィール1958年群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に生まれる。
3人兄妹の長男で、幼少の頃は寡黙でおとなしい性格。
晩生(おくて)の成長のため、中学の頃は背が小さく、よくいじめられていた。
20代の前半〜半ば(なかば)は家業の林業を継ぎ、20代の後半〜30代前半はサラリーマン、今から15年前の33歳に、建築の道を決意!
20代の後半でサラリーマンになったきっかけは、当時、電線関係の製造をしている知り合いの会社で、社内の中国語講座をやっていて、多少の中国語をかじっていた私は、更に語学力を伸ばそうと思い、その講座の仲間入り。
そんな折、その会社において、香港に工場進出の計画が立ち上がり、香港担当として私に白羽の矢が立つ。何かと迷いはあったが、当時独身の身であった私は香港行きを決意して入社する。
いよいよ香港進出の矢先に、あの歴史に残る「天安門事件」が起こり、香港進出は白紙となる。
それでもその会社では私に、新規事業関係の仕事を担当させて下さり、米国・台湾・タイなど国内外の出張を始めとして、多くの貴重な体験ができた。
さて、そして今の仕事に移るきっかけですが、
そんなサラリーマンを続けてはいたものの「自分が本来やるべき職業(いわゆる“天職”)は何か?」と、悶々と考えることが多くなり、そんな矢先のある日、山形県への出張があり、その出張がきっかけとなり大きな心の転機が訪れる。
その宿泊先の宿舎(ペンションの様なところ)が、地場の木材をふんだんに使った建物であって、とても気持ちが休まり、そしてそこで、自分のやるべき天職が直感的に頭をめぐる。
「我が家は代々受け継がれてきた山林を所有し、私もその山や木と共に育ってきた。 それら山の木は、“祖父さんや親父の、育てた苦労と孫子への思い”が浸み込んでいるものだ、しかし今その木は、伐って売れる値段は二足三文の安い値段である。 しかし、“自らが手掛けて木を活かし、住宅にふんだんに活用する”ことで、木もご先祖様も喜んでくれる!自分も木と山、そして物つくりが大好きだ!」
と、そこで自分の天職を悟り、建築の道を決意する。