217月

役割!

  溶けてまう!

 こんばんは!日曜と海の日だった月曜と続けて中澤家のアクティブボーイである三男のタキくんとプールに入った聖士です。

 

 前橋、高崎市内と比べると2℃程?気温が低い倉渕でも最近は朝からすごく暑いです。朝からタキくんが玄関前のデッキスペースでプール遊びをしていて涼しそうだったので、僕も足だけ入って一緒に恐竜バトルをしていました。足だけでも倉渕の冷たい水に浸かっているだけですごく気持ちが良かったです!

 

 高校野球!

 朝から暑かった日曜日の午後は、上毛新聞敷島球場に行って夏の高校野球群馬大会を観てきました。

 桐生高校vs関東学園大学附属高等学校のベスト16をかけた戦いです。桐生高校は僕の母校であり野球部に所属していたのでグラウンドで試合をしている選手たちは直接関わっているわけではありませんが後輩たちです。何年振りだろってくらい久しぶりに高校野球を現地で観ましたが、高校野球っていうものはいいですね!特に夏の大会は熱く盛り上がっている選手たちで余計見応えがあります。

 しかし応援席は日陰が少なく座っているだけで熱中症になりそうでした。桐生高校側の応援席でメガホンをもって球児たちに声援を送ると自分の心まで熱くなったと思いますが、暑すぎてそれはできませんでした。選手の親御さんやコーチ、ベンチに入れなかった選手たち、応援団の人たちはずーっと暑い中声援を送っていて尊敬します。応援している人たちも凄いですが、グラウンドで暑い中戦っている選手たちも凄いです。そんな中僕は自分のことだけで精一杯でした。。。

 

 この試合の結果は7-11で惜しくも桐生高校は負けてしまいましたが、点を取られては取っての打撃戦で両チームとも最後まで油断ができない試合内容だった気がします。今はどの都道府県も私立の勢いがすごくあります。毎年、甲子園出場チームのほとんどは私立の高校です。対戦相手の関東学園大学附属高等学校も私立の高校で毎年強いですが、拮抗した良い戦いだったので粘り強く戦ったと思いました。3年生はこの試合をもって引退ですので次の目標に向かって頑張ってほしいです。

 

 

 役割!

 数年前は僕も暑い中、寒い中、雨の中夢中になって野球に打ち込んでいました。もう一度学生の頃のように野球やりたいかと聞かれたらすぐに「やりたくありません」と答えるでしょう。やりがいはありましたが心も体も疲れ切っていました。きつい練習もたくさんやったし、どんな天候であろうと試合や練習の毎日でした。それでも真剣に取り組んだことで今後の人生にプラスになることはたくさんありますのでやったことに後悔はありません。

 

 高校時代ポジションはどこやってたの?と聞かれれば「キャッチャーです!」と答えます。

 おぉ!キャッチャーだったんだ。それで、打順は何番だったん?と聞かれると「...」となります(笑)。

 というのも高校時代はずっと控えだったからです。「...」だからと言って落ち込んでいるわけではないですよ。

僕の学年は23人の仲間がいてベンチ入りできるのは20人までです。20人全員が3年生ではなく、試合で勝てる選手を使うので2年生もいるし、中には1年生がベンチ入りすることだってあります。なのでベンチに入るだけでも結構狭き門で当たり前のことではありませんでした。

 中学生の頃は部員が少なかったので一年生で入部した時からベンチ入りどころか即レギュラーでした。中学までは軟式野球をやっていて高校から硬式野球に転向し、球の転がり方も違ってピッチャーが投げる球の速さも、打球の速度も、バットの重さも全然違ってうまく硬式に順応できず一年生の頃は凄く苦労しました。中学生のころまでは当たり前に試合に出ていたので「俺は野球が上手い方だ!」と思い込んでいましたが、高校に入学して広い世界に入ってみると野球の上手い奴らがゴロゴロいて心が折れました。

 ベンチで応援しているより試合に出ていた方が楽しいので、そんな上手い選手たちに囲まれながらもレギュラーを目指して取り組んではいましたが、全てが嚙み合わず三年生になっても控えだったんです。

 

 僕のような控え選手は試合の後半に代打や代走、守備の交代などでチャンスを与えてくれることがあります。そのチャンスは多い選手もいればほとんどない選手もいます。僕も何度かアピールチャンスをもらいました。しかし、監督さんは厳しく、少しの失敗をしただけでチャンスがしばらく回ってこないということがよくありました。

・代打で出て、打ったところでいい当たりなんか出ないファーストストライクを見送っただけで打席が終わりベンチに戻ったら「交代。あいつと審判変わってこい。」と。

・送りバントをミスったら「バントもできないようじゃ試合に出すことできないよ。」と。

・8回くらいに守備の交代で僕がキャッチャーに入って、それまで好投していた投手がその回に点を取られたら「お前が悪い。」と言って一回ももたず交代させられたりと。

 

 このように数少ないチャンスを活かしきることはできませんでした。控えだったのは当然の結果です。そしてチャンスはそう多くは回ってきません。少ないチャンスを活かすことができる人は準備をめちゃくちゃしっかりやっています。そのチャンスを活かせるか活かせないかの差が野球だけでなく仕事においても大切だなと感じました。

 

 大会は一年のうちに3回あります。最上級生となった時、最初の秋の大会では僕は背番号を貰えずスタンドで応援でした。しかし春は13番・夏は19番と背番号を貰うことができたんです。ですので貰うことができなかった仲間の気持ちも十分にわかるので背番号を貰ってベンチに入ったからには試合に出なくてもいくつも役割を全うしようと決めていました。

 控えキャッチャーとしてピッチャーが試合で気持ちよく投げることができるように投球練習にいつでも付き合ってケアをしたり、ベンチの中では誰よりもグラウンドで戦っている選手たちに声をかけたり、スリーアウトチェンジになって守備からベンチに戻ってくるときは誰よりも先にベンチを出て一番前で仲間を出迎えて声をかけたり、点が入った時はバッターにもランナーにも声をかけて盛り上げたりと、試合に出ない分、そしてベンチに入れなかった仲間たちの分まで頑張ろうと自分の心に決めていたんです。誰かにその時の自分の考えを知ってほしかったわけではないく、誰かに話したわけでもノートに書いたわけでもないので、その心掛けを監督さんや仲間たちが気づいていたかはわかりません。しかし、行動することによって他の誰かではなく自分にしかできないことを表現することができればその場に自分を必要としてくれることがあります。

 三年間試合で活躍することはできませんでしたが自分だけしかできない役割を全うできたことで最後の夏の大会で負けても気持ち的にはやり切った感がすごくありました。

 

 今は野球ではなく建築です。僕はまだ建築において自分にしかできない役割というものがありません。一つ見つけてそれを徹底的に磨き、時間をかけてでも一つずつ役割を増やしていければと思っています。役割を持っていれば自分のことを必要としてくれる人が出てきます。しかし今のような時期も重要です。何事にも我武者羅に取り組むしか方法がないからです。もしいつか弟子ができたとしたら、この経験があるから理解できることもあるし伝えることもできるしその人の立場になってみてその時に自分ができる役割を考えることもできます。

 ベンチ入りできなかった、試合に出られなかったという立場の弱い側を経験したことが今後の人生にプラスに働くことがあると思うので、これからも高校野球での辛かった経験を糧に頑張っていきたいです。

↑空に大きく掛かるきれいな虹のように明るい未来を目指して。

 

 

ブログを読んでくださりありがとうございます!

松島聖士

 

中澤建設㈱ ホームページ


 

Posted in 工務店ブログ!ちょっとオシャレで贅沢な木の家づくり

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